フルムーン・パーティー。タイのパンガン島で開催されている。酒と、ドラッグと、騒々しい音楽でハイになる。安っぽい宴なのだけど。集合的愚鈍。猿への退行。
僕はどちらかというと、孤独と、静寂と、鬱を友とするといったタイプなので、誰もいない夜のビーチで泳ぎ、ぼんやりと星を眺め、詩でも作っていたい。阿呆な詩なのだけど。「こんばんはー、お月さん。あなたのお顔はレモン色」。
若い頃は酒やドラッグや、レッド・ホット・チリペッパーズやガンズ・アンド・ローゼズがそれなりに好きだったので、きのこを食べ、ウォッカとレッドブルを混ぜたものを飲み、葉っぱを吸い、この世ならぬものを見る。当時、私は自分自身、ならびに社会への適応性について(非適応性について)絶望しており、南の島にいながらにして地獄をさすらっていて、当然ながらドアを開けるとそこにはバッドトリップが広がる。クスリが気分を劇的に変えることはない。それはむしろ気分という網を微細に拡大して目の前に突きつける。
たとえば犬の喘ぎを聴いた。幻聴かもしれない。バンガローの外に野犬の群れがいたのかもしれない。喉の乾いた犬がハアハア喘ぐ声が耳元で鳴り響く。異様に生々しい。熱い息づかいを耳元に感じるし、吐息に含まれる肉の匂いさえ漂ってくる。鋭敏になった聴覚のなせるわざなのか、原始的な恐怖に起因しているのか。とにかく、実際に体験したらそれがリアルなのは疑いようがないし、かといって部屋のなかにはいないから、追い払いようがない。耐えるしかない。ハアハア。ハアハア。1時間くらい続く。神経の弱い人なら、これだけで発狂するには充分だと思う。
パンガンの海は綺麗だった。砂浜から少し泳いだところに総天然色のサンゴ世界が広がる。熱帯魚もたくさんいて、あちらの魚は人懐っこいので、潜っているとくっついてくる。つん、と突っつくと逃げていく。そこがまた可愛い。しかしそこでもまたバッドトリップの扉がひらく。
最初、私はそれを宇宙人だと思った。60年代のSFコミックに出てくるようなわかりやすい火星人がすぐ目の前にいる。クラゲ型の頭をして、クラゲ型の触手をひろげ、重力などないかのようにひらひらと立っている。というかそれはクラゲじゃん。ばかでかい。人間と同じくらいのサイズがある。コバルトブルーの楽園世界のなかで、そいつは圧倒的に見苦しい。
しかし私はそのとき友好的な気分だったので、やつを火星人だと思ったし、地球を代表して親睦を深めたいと思った。どうすればいいんだろう。とりあえず握手するべきだろうか。
そいつのほうから近づいてくる。その触手が私の頬を撫でる。今でもその感触を覚えている。吸いつくような、刺すような。雄弁な感触だ。意志をもった手触り。メッセージを伝えている。
「食べたい」
溺れかけたし、死にかけた。焼けつくような痛みがやってくる。
「行くな。待て」
その後、半年ほど火ぶくれみたいな傷痕が消えない。
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