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十五の春



 かつて世界が若く、ナイーブだった頃、コンパクトディスクという製品があり、音楽はいちいちCD屋さんというところで購入していたのである。田舎の中学生だった私たちはお金がなかったので、友達どうしでコンパクトディスクをちまちまと貸し借りしていた。しかし友達と趣味が合うとは限らない。私が好きだったのは海の向こうの英語歌詞のロックミュージックだったのだが、友人たちが好んで聴いたのは演歌や三味線やその子孫たちで、私にはさっぱりわからない、聴いていてどんどん心が暗く沈んでいくような音楽なのでありました。

 当時の私たちはお金がなかったので、休みの日はぶらぶらして友達の家に行くか、うちにいてだらだらして親に追い出されて友達の家に行くか、要するにスルメの切れ端とかカツオ節の一片とか昆布のダシを取ったあとの残骸みたいな存在でありました。そんな私たちが目指していた、というか確信していたのはいつか私たちは大物になるということで、具体的には、いつか私たちの、と言わないまでも、少なくとも私のコンパクトディスクが世に出る、彗星のごとく闇夜を引き裂き、全国津々浦々のスルメ少年少女たちを虜にする。華々しくデビューし、デビューして、デビューしたまま、そこで瞬間的に凝結してしまう美しい一幅の絵画。

 そんな甘い夢の合間に私たちはコンパクトディスクを貸し借りしていたのであり、誰がどのようなCDを所持しているかというのは遠い果ての果てまで知り抜いていた。当時の忘れがたい一枚がクイーンの「グレイテスト・ヒッツ」で、驚くべきことに、私が持っていたのである。乏しいお小遣いをはたいて買ったのだろう。どうしてそんな選択をしたのかわからない。おそろしく趣味が悪かったという記憶はある。だから私には、友達の趣味に文句を言う資格はない。

 当時、絶大な人気を博していた女性アイドルグループがあって、仮にそれをみゃんちゃんずとしておこう。みゃんちゃんずを愛聴していたのが放送部の田代くんで、彼がニヤニヤしながら私のところへやって来たのである。疫病神といった顔つきの男だ。

「ふざけるな。みゃんちゃんずなんて要らん」

「クイーン持ってるやろ。あれ貸してくれや」

「だから俺はみゃんちゃんずなんて聴きたくない」

「ジャケット見ろや。かわいいやろ」

「・・・・・・」

 たしかに可愛かったのである。

「なかの写真、もっとかわいいで」

 私が興味があったのは音楽である。もちろんのこと、音楽はカスみたいなものでありました。

 今も忘れない。十五の春。田舎の公立中学では所持品検査というのがあった。教師たちが正面玄関で網を張って、気に入らないやつのカバンを洗いざらい調べるのである。いちばん威張っていたのは小杉というゴリラみたいな体育教師で、頭の中身もゴリラと同程度だった。私はやつから嫌われていたので、整髪料を持っていて殴られ、女の子からのラブレターが見つかって殴られ、何もなかったときも、教科書を持って帰ってねえだろ馬鹿野郎と言って殴られた。

 さて。そこにみゃんちゃんずが登場するのである。

「これお前のか」

「僕のではないですけど」

「だったら誰のだよ」

「姉ちゃんです」

「なんでお前が持ってんだよ」

「プレゼントなんです。バイトして金ためて」

「お前バイトやってんのか」

「親の肩たたきとかですよ」

「嘘ついてるだろ」

「ほんとです」

「なめんじゃねえぞ」

「なめてないです」

 一発殴られた。こめかみをゲンコツで。視界に星がきらめく。しかし今日は一発では済みそうにない。

「お前これ万引きしただろ」

「してないです」

「知ってんだよ。被害届出てんだよ」

「証拠あるんですか」

 もう一発殴られる。

「なんで学校にこんなもんが要るんだよ」

「ロックミュージシャン目指してるんで」

 またもや一発殴られる。





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