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苺恐怖


 オーストラリアでイチゴのピッキングをしたことがある。苺狩りなんてのんきなものではない。ピッキング、つまり肉体労働であり、ブルースであり、金銭の対価としての隷属状態である。腰は曲がる。膝が震える。イチゴの棘が指の腹にこすれて指紋が消える。たぶん人格も変わる。もはや純粋ではいられない。ふとした瞬間に使役動物としての過去がよみがえる。ショートケーキのイチゴは華ではなく、毒みたいに見える。  同僚はインド人が多かった。あとミャンマー人、ネパール人、中央アジアのシルクロードの国々。みんな不真面目だった。青いイチゴを摘み取っては検査ではねられた。僕も不真面目だけど、やつらの不真面目さは半端なく、イチゴと一緒に隣の畑のトマトまで摘み取った。奥の方に仕込むのだけど、サングラスをかけたボスはいとも簡単に見破った。くびにするぞこら。へえ、すみません。手元が狂っちまいまして。うちの国じゃトマトもイチゴも同じ名前で言うもんでしてね。こっちに来て初めて区別を教わったんですがね、いまだに間違いますね。同じに見えますね。へえ、嘘こいてますね。次から気を付けますね。  ある日、農園労働者たちが反乱を起こす。イチゴもそれに寄与する。いつも摘み取られることに嫌気がさしたのだろう。全員おなかを下した。原因はわからない。イチゴのせいだとしか思えない。州の検査官がやってきて、出荷も差し止められる。誰も仕事に出なくなる。イチゴは熟れて腐って地面に落ちる。誰一人イチゴなんか見向きもしない。ベッドで休んでいる。  農園は静まり返る。雇い主は昼間からウィスキーを飲む。やつは労務者の福祉など念頭にない。病人たちを見殺しにする。医者を呼ぶことはなく、医薬品を与えることもない。その一方、宿泊費は律儀に徴収する。当たり前だろ。うちは慈善施設じゃねえんだからさ。やだったら出てけ。  体力のある者は出ていく。残った者たちは今後の身の振り方について相談する。火をつけようか、と誰かが言う。そうだ、燃やせ、と誰かが言う。  真夜中に台所から火の手があがる。炎はガスに引火し、リビングを包み、寝室にまで燃え広がる。幸いにして怪我人はいない。その日はたまたまみんな外で寝ていたのだ。私物もきれいに持ち出してある。ログハウスは火の粉を吐き出し、煙をあげ、燃え盛る。別棟に住んでいるオーナー一家が出てくる。何事だ?  お祭りだ、と誰かが言う。  ひやっほう、とロシア人が言う。彼はブレーカーの発火に関して天才的な手腕を持つ。爆発物も作れるんだが、と言っていたが、さすがにそれは見送られた。惜しい。また次の機会に。  なんだこれは、とサングラスは言う。夜中なのにボスはサングラスをかけている。お前らなにしてる。  どうしようもないっすよ。おれら病人なんですから。  お前らがやったのか。  知らないっすよ。おれら外で寝てたんで。  じゃあ誰がやったんだ。  イチゴじゃないっすか。  ボスの顔はみるみる赤くなる。イチゴみたいだ。  どうせ火災保険でカバーされてるんでしょ。いいじゃないすか、新しいの建てりゃ。  ボスの顔は赤い風船みたいにぱんぱんに膨れ上がる。サングラスが肉に食い込む。はじけ飛びそうだ。そういや、とみんな思ったはずだ。そういや、こいつがサングラスを外したとこ見たことないよな。  まさか火災保険入ってなかったんすか? バカじゃないすか。おれらみたいなバカだって火災保険くらい入りますよ。  そしてイチゴは爆発する。というかサングラスがはじけ飛ぶ。種が四方八方に飛び散る。サングラスの破片だろうが。それは近くにいた者たちの頬を切り裂く。  お前らなあ、とボスは声を絞り出す。顔は真っ赤だ。完熟イチゴだ。怒りの形相。イチゴ大魔王。お前ら、お前ら、イチゴをバカにするんじゃねえぞ。  その瞬間、畑に実を結ぶイチゴたちが一斉に叫ぶ。  イチゴは無実です。やったのはこいつです。  イチゴはいくつもの目で僕を見つめる。  ボスはうおおー、と夜空に向かって雄たけびをあげ、僕に向かって突進し、その途中で石につまずいて転ぶ。転んだはずみに頭を打って絶命する。  イチゴたちは怒り狂う。  お父ちゃんを返せー!  イチゴたちは爆発する。それはバラードであり、満たされない思いであり、爆発するまでに高まった愛である。広大な農場のすべてのイチゴがはじけ飛ぶ。愛が世界に満ちる。それは強力な伝播性を持ち、ほかの作物も爆発していく。つられて僕の頭も爆発する。


注:ぜんぶ嘘です。僕はオーストラリアに行ったことすらありません。


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