地球の裏側で男たちが真剣にボールを蹴りあっている。あえて見ないし、ニュースもチェックしない。一度見始めたら止まらなくなるのがわかっている。断酒した人間が再びアルコールに手を出すようなもので、血の滲むような努力が水泡に帰してしまう。おそらく女性たちには理解できまい。サッカーには魔力が潜む。噛みつき、がっちりと抱え込み、依存させる。それなしでは生きられなくなる。試合中はおろか、それ以外の時間もサッカーの情景が脳内を占拠してしまう。ヨガなんて手がつかなくなるだろう。練習もしない。準備も手を抜く。同じ内容の繰り返しをしかねないし、へたしたら「身内に不幸があったので」なんていってレッスンをさぼることもありえる。おそろしい話だ。これではダメ人間だし、職業的なモラルに反するし、みなさんの信頼を損なうし、人生設計にも支障をきたす。だから北の国で行われている祭典には目を向けません。心惹かれるのはたしかなのですが。 しかし石垣島には誘惑の機会が少ないですね。これが東南アジアのビーチリゾートだと、そこらじゅうのカフェやバーがテレビをつけっぱなしにして大音響で実況を流し、阿呆どもを誘い込むのである。男たちはテレビに釘付けになる。女たちは退屈そうにスマホをいじる。タイまで来てなんでテレビ見てんの。アホじゃないの。 実をいうと、僕は前回ワールドカップのときメキシコにいて、スポーツバーで拳をつきあげていました。パツクアロというとんでもない田舎町でした。メキシコまで来てどうしてサッカーを見ているのか、これっぽっちも疑問に思いませんでした。僕の応援もむなしく、日本はあえなくアフリカの小国に逆転負けを喫し、がっくりと肩をうなだれてテキーラを傾けました。店内には『ケ・セラ・セラ』が流れています。「ケ・セラー・セラー。人生なるようにしかならないさ……」。バーテンダーの粋なはからいでしょう。彼は言いました。「日本は経済的にはビッグなんだから、サッカーくらいアフリカに勝たせてやれ」。たしかにその通りなんですけどね。バーテンダーっていいこと言いますね。口のなかに残るテキーラの苦い後味。 しかしメキシコはすごかったな。メキシコ戦の試合中は街路から男が消えた。午前中からみんなそわそわして、がきんちょも腹の出たおっちゃんもみんなあの緑のユニフォームを着て、必勝を期し、教会でお祈りし、そこまでされると僕だってメキシコに勝たせたくなってしまう。しかし神様はほかの仕事で忙しかったみたいだ。男たちは悲嘆にくれる。バーテンダーの出番だ。彼らは神の分身かもしれない。 女性たちにとっては人生の浪費にしか映らないだろう。その見方は正しいし、自分でも思うのだけど、ドラッグやギャンブルみたいにたちの悪い熱病にかかるようなものだ。しかし、それでもなお。 四年に一度。美しい周期だと思う。熱病の季節。魂を熱く焦がしたい。