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誰もが大切なものを抱えてバーにやってくる


 生徒さんのひとりがスナックを経営しておられる。なかなか素敵な店だ。淡い照明のもと、常連さんが島酒の水割りなんかを傾ける。ボックス席でご歓談しつつ、あるいはカウンターでしずしずと。恰幅のいいおっちゃんがいて、年配の女性たちがいる。子どもが押しかけて大騒ぎするところではありません。大人の隠れ家なのです。店のドアを開けるのにちょっと勇気がいるけど、なかに入ったら和やかな雰囲気の一員になってしまう。おしぼりが出て、おつまみが出て、さて、何を飲みましょうかねえ。そのころにはもう、あらゆる悩みを店の外に置いてきちゃってる。ここは避難所。包容力のあるママが護ってくださる。気軽に話せるし、ひとり静かにグラスを傾けていたいときは、何も聞かずにそっとしといてくれる。そのあたりの間合いは心得ておられる。それは司祭に告解に行くようなもので、阿吽の呼吸で立ち寄り、グラスが満たされ、料理が置かれる。綺麗に盛られた煮物とか、揚げたての天ぷらとか。湯気を立てる天ぷらを見ただけで心がほぐれますな。はて、わたしの悩みって何でしたっけ。 『ハーヴェイ』って映画でもありましたね。「希望、後悔、恋愛。ちっぽけな物事を持ち込むひとはいません。誰もが大切なものを抱えてバーにやってきます」。お見受けしたところ、石垣のみなさんが共有しているのは、ゆんたくへの愛というか、家族飲みみたいな温かさで、近況を語り合い、笑いさざめき、老年に関しておのれの意見を述べ、けらけらと笑いなさる。愚痴なんて聞こえてこない。これは素晴らしいことだ。都会のサラリーマンなんてひどいもんですからね。まずい酒をまずいひとたちと飲み、そのまずさを他人のせいにする。毒虫が毒液をまき散らすという地獄絵図で、その点、石垣にサラリーマンは生息していないし、やつらの毒気に比べたらハブやクラゲやイソギンチャクなんてかわいいものだ。ってのは偏見ですかね。  島言葉も大いに寄与している。「だからよー、うちの仁助が骨ば折りよってよー。玄関でずっこけて、上がりかまちに顔ぶっつけたさあ。鼻血出してよお、顔面血だらけでよお、前歯も無くなっとったさ。何も食えんさね。豆腐ば食いよっけど、痛い痛いゆって、チャンプルーの豆腐だけつまんどるさね。味もわからんし、べそかいとるし、見てるのもつらいさね。酒は飲んどるよ。相変わらずさあ。死んでもなおらんさ」  重いテーマを明るいメロディーで歌うというのはボブ・マーリーに通じるところがある。石垣島は日本におけるジャマイカと呼んでいいかもしれない。あるいはこの店だけだろうか。浜崎町の『デュエット』というお店です。市民会館の裏、ヴェッセルホテルのお隣にあります。「わたしヨガしているんです」というと特別待遇を受けます。島酒を傾け、島言葉によるレゲエを聴いていると、楽園のひとつのかたちを見出せるでしょう。


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