最近ふざけたことばかり書いている。たまには真面目なことを書こうかと思うけど、またふざけた書き方になりそうな気がする。せっかく読んでくださっている方々を退屈させるのは罪ですから。僕はサーヴィス精神が旺盛なのです。というのは言い訳かもしれない。この男の本性はふざけた野郎なのかもしれない。そんなこと、とうの昔にみなさん気づいていらっしゃる?
へへっ。
このところ読んでいるのはドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』で、『罪と罰』でもそうだったのだけど、登場人物たちの口癖がうつるのである。どうせなら美しい部分を血肉とすればいいものを、この男が気に入るのは下品な物言いなのである。
へへっ。
へっ。
こういう素敵な口調。なかなかしゃれている。へへっ、と口ずさむだけであなたも酒場の飲んだくれの仲間入り。セミョーン・ザハールイチやフョードル・カラマーゾフ。下劣で野卑で卑屈で馬車に轢かれたりして死んでしまう。しかし彼らにも愛すべき部分はある。人間精神の弱さというか、堕落した部分、原罪にも等しい救いがたさ。誰だって身に覚えがあるはずだ。みな弱味を抱えて生きている。でもそれゆえに個性が出るのだと思うし、自分自身に飽きないし、おそらく他人も飽きさせないのだろう。完全無欠の人間なんてつまらない。そんなの機械だ。若くして年寄りじみている。分別くさくて肩が凝ってしまう。それよりは欠点を抱えている人間のほうが興味深いし、一緒にいて気楽だと思いませんか。へへ。
へへ。
こういうやつ。
どうなのかな。僕はときどき自分自身を疑問に思う。いいところはよくわからん。悪いところは無数に思い浮かぶ。一例を挙げると団体行動が苦手で、輪から外れてばかりいる。サル山でいうと一匹だけしょーもない枝の先にぶらさがっていますね。みんなが遊んだりケンカしたりしてるのを尻目に、枝の先で揺れたり停止したり完全停止したりしている。変なサルですよ。たぶん他のサルからは好かれませんね。そのサルの頭のなかはどうなっているかというと、自分はサルじゃなくてサルっぽい気体じゃないかと感じている。気まぐれで、不定形で、ふてぶてしい。実はサル以外にありようがあったんじゃないか。ちょっとした行き違いでサルになってしまったけど、もしかしたらぼくは虚空なのかもしれない。でも虚空だったらその瞬間に消失する。おかしいよな。だったらサルでいたほうが便利だよな。こうして揺れることもできる。揺れると風があたって気持ちいい。