思うに、石垣にいる男のほとんどはアルコール依存症である。僕のまわりだけだろうか。これまで知り合った男たちの10人中9人はアルコールでエンジンが動いているような人たちなのである。たぶん酒を抜いたら彼らは死ぬ。このまま飲み続けても死ぬのだろうが、どうせなら楽しんで死にたい。だから生きている限りは飲む。昼間から飲む。へたしたら朝から飲む。なにが悪い。おれの体だ。
僕自身はどうかというと、いちばんひどかったのがアルゼンチンにいた頃で、当時愛していたのは朝のエスプレッソと昼間のワインラッパ飲みだった。
外のテーブルで飲むエスプレッソ。お伴はクロワッサン。感傷的な街並みと二日酔いの最悪の気分。甘いクロワッサンをちょっとずつかじり、非友好的な朝をなんとか飲み込み、颯爽とワインを買いに行く。あるいはアル中の切羽詰まった足取りで席を立つ。
その頃ワインが買えなかったら僕は死んだのではなかろうか。食事よりも水よりもワインが必要だった。毎日飲んだ。死ぬほど飲んだ。体内の組成が変わるほど飲んだ。そこまで行くと頭だっておかしくなる。とある日、大統領選挙か何かで酒屋さんが全部閉まり、スーパーの酒コーナーは立ち入り禁止となり、ワインにありつくために小さな食料品店をめぐり、ずぼらな店主から料理に使うしかないような安物の赤を出してもらう。ムーチャス・グラシアス。
部屋に戻ってドアを閉め、封を切る。コルク抜きをねじ込む。愛用のコルク抜きだ。芸術的な手さばきでコルクが弾け飛ぶ。一口目。これがいちばんの楽しみ。それはものすごくまずい。くどくて、渋い。染料を飲んでいるような感じだ。それでも舌の上で転がし、折り合いをつけ、無理やり飲み込む。それを繰り返す。ある程度飲むとどうだってよくなる。ひたすらボトルを傾け、酒精の魔力に身を委ね、詩的な空想に浸り、そしていつか頭がぐわんぐわんと回り出し、こと切れる。そうやって緩慢な死を迎える。しかし酔っているあいだは楽しい。地上の栄華を一身に集めている。
アルコールランプなんてものがありましたね。覚えておいででしょうか。理科の実験で使いましたね。マッチの火を近づけると頼りない炎がぼおっと点く。アルコールがある限りは淡々と燃え続ける。料理をするには役不足で、明かりとしても有用ではなく、ただただひっそりと音もなく点灯している。無色透明の燃料と、妙に薄っぺらい光。非現実的な、触っても熱くないような。
石垣ってね、あちこちで仄かな光が揺れていますね。風前のともしび。彼らは残り少ない生命をちろちろと燃やしている。本人たちの心象ではキャンプファイヤーを天空に噴き上げているのだけど、すべては幻。空疎な気炎。所詮はアルコール・ランプ。酒なんてそんなもの。
みなさんよく飽きませんねえ。と言いつつ、僕だってたまには飲む。せっかく石垣にいますから。酒の島ですよ。禁酒法が施行されたら男たちの9割は死に絶える。