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やぎじる


 ネパール/ポカラのハッピーシェイクやグアテマラ/サンペドロのスペースクッキーのことを書いてもいいのだが、場所柄をわきまえ、もう少し穏便な食べ物について書こうと思う。

 石垣島のヤギ汁なのである。あれほどまずいものを食べたのは、ラオスで食べた茹で卵以来ではなかろうか。殻を割ると孵化直前の死んだ雛が出てくるあれである。もちろん生きている雛が出てこられても困るのだが、死んだ雛が出てこられても対処しようがない。

 ヤギ汁もそれと同じくらいのインパクトがあり、その癖・くさみに負けず劣らず濃厚なのが店主のオバアで、顔は細長く、ところどころ歯が欠けていて、顎の先からちょろちょろとひげが生えており、ヤギの近縁種ではないのかと思えてくる。だとしたらこいつは親類縁者を料理して出している。悪魔の所業ではなかろうか。昔あるところに一匹のヤギがおりました。そのヤギには友達がいませんでした。なぜかというに、そいつは友達をスープに入れて食べてしまうからです。迷子の迷子の仔ヤギさん、わたしと友達になりませんか。わたしのおうちに来て、薬草を体に塗り、熱いお風呂に入りませんか。

 やつはカウンター越しに話しかけてくる。暇なのだろう。店内にはほかに客はいない。

「兄ちゃんあれさね、ダイバアさね。潜るひとさね」

「そうなんです」と僕は嘘をつく。

「日焼けしてるもんね」

「毎日潜っているので」

「やぎ汁どうさね」

「とてもおいしいです」

「あんた嘘ついとるね」

 オバアはじっと僕の目を見つめる。オバアのぼろぼろの歯も僕に向かってきらりと光る。それらはあちこち欠けるのみならず、根元から前に後ろに針山みたいに交錯しており、歯というよりは拷問の道具に思えてくる。どうやったらこれほど歯を痛めつけられるのだろう。やはりヤギを丸ごとぼりぼり食ったのだろうか。

「あんた嘘ついとるね」とオバアは言う。「うちをなめるんじゃないよ。だてに六十年この商売やってるわけじゃないさ。あんたの顔見てたらわかるさ。まずいまずい、すげーまずいって顔に書いてあるさね」

「そんなことないです」

「じゃあお代わりあげようか」

「要らないです」

 オバアはにやりと微笑する。舌先が見え隠れする。僕を食おうとしている。ヤギに比べたらこんなやつポテトチップみたいなもんだろう。

「ほんとのこと言いなさい。まずいでしょ」

「すごくまずいです」

 オバアはけらけら笑う。一緒に笑っていいのかどうか、迷うところだ。

「ほんとはあんた何やってるのさ。仕事だよ。仕事」

「ヨガの先生です」

「よがって何さ」

「インドのギターです。三線に似ています」こいつはまた嘘をつく。この期に及んでいたずら小僧が顔を覗かせる。病気みたいなものだ。

「へえ。たいしたもんさね」

「それほどでも」

「うちもさ、三線やるんよ。こないだのとぅばらーま大会も出ようかと思ったんだけどね、くじ引きで落ちちゃってね、競争率高いからさ」

「僕も見に行きましたよ。とぅばらーま大会」

「あれね、結局は運さね。それと縁故ね。うちはオトオのオトオが会長しとったんだけどね。二百年前の話だからね、関係なかったさ」

 かっかっか、とオバアは笑う。手のひらで口元を隠す。疑念が兆す。この女も嘘ついてるんじゃなかろうか。嘘つきは他人の嘘にも敏感になる。

 にやり。怪しい顔だ。

「ところでさ、さっきやぎ汁に毒入れたんだけどさ」

 ますます怪しく微笑む。元から怪しいことこの上ないのだが。どうやったらこれ以上怪しくなれるのか。

「あんたの脳味噌さ、腐ってくよ」

 オバアの口はきゅっとすぼまる。歯は隠れる。うん、これは最高に怪しいよな。

「変な感じさね。もうあんたの頭まともじゃないさね」

 オバアは唄いだす。何を思ったか、それは流行歌なのである。とぅばらーまではない。いかなる伝統民謡でもない。嵐とか台風とかそういうやつだ。のりにのっている。それを聞いていると頭がくらくらしてくる。

「あんたヤギになるよ」

「それはすごい」

「悲しくない?」

「メー」

「なんつった」

「ノー。悲しくありません」

「なんでさ」

「ヤギになったらヤギの友達を作ります。ヤギ的な目でヤギ的な世界を見て、ヤギ的な不条理にメーと鳴き、そこにはおそらくヤギ的な美学やヤギ的な達成もあるのでしょう。メー」

「うちは味にしか興味ないさね」

 そして哀れなヤギはスープにされてしまいました。

(作者注:ぜんぶ嘘です。いかなるモデルも存在しませんし、こんな店はありません。実を言うと僕はやぎ汁を食べたことさえありません。あまりにもふざけているので、発表すべきか迷いましたが、おそらくは笑えるのでしょうし、ひとを笑わせるのは悪いことではないのでしょう。ふんっ、とせせら笑ってきれいさっぱり忘れてください。)


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