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ブラジル時代


 大昔、僕はブラジルへ行ったことがあり、そこで5ヵ月を過ごしたのである。何をしたか。各地をめぐり、各地をめぐることに倦み、サルバドールという海辺の街で3ヵ月を過ごした。サルバドールで何をしていたか。ビール飲んで、ちょっといけない煙草をふかし、ちょっといけない状態に陥った。それで3ヵ月が消えた。おそろしい話だ。でも楽しかったな。夜空に散らばる星々を眺めてはしゃいでいる。ロッキングチェアに揺られ、満面の笑みをたたえて星空を見つめ、調子に乗って揺れすぎて、椅子が後ろへ一回転して頭からタイル張りの床に落ちていく。

 そのころ僕は外的にはどん底の状態にあり、しばしば井戸の底の暗闇に落ち込み、膝を抱え、頭をうなだれ、自分は価値のあることを一つでも成したのか、これから一つでも成すことができるのだろうか、生きている価値があるのか、と底の底の深淵にずぶずぶと沈み込んでいた。そしてちょっとしたことで浮かれて(たとえばマンゴーの甘さとか)、この世は素晴らしい、一点の曇りもない、かくも美しい世界、などとほざき、ロッキングチェアで揺られてくるりと一回転して頭からタイル張りの床に投げ出される。

 そのころ好きだったのがサッカーとボサノバで、サッカーはブラジルに入る前から好きだったけど、ボサノバはブラジルに入ってから恋に落ちた。ボサノバ。あの気だるさ。ささやくように歌いかける。感情を荒立てず、かといって冷たく言い放つこともなく、子守歌みたいに柔和に口ずさむ。ポルトガル語の甘えるような響きもいい。人生を感傷的にするおまじないみたいな。

 今でも好きなボサノバのアルバムがあって、『Getz Au Go Go』。スタン・ゲッツとアストラッド・ジルベルト。ブラジルの夜。生暖かく、感傷的で、人生がいくつあっても足りないくらい情愛に溺れている。それがブラジルでの生き方なのだ。他国の人たちは枯れすぎていますね。頻繁に溺れ死ぬくらいでないと人生を謳歌していることにはならない。命が持たない? いやいや。やつらは立ち直りが早い。崖っぷちと天界とを常に行き来している。それが行動規範。生まれながらに。

 ブラジルでこういうことを学んでしまい、ヨガはむしろバランス・達観を希求しているのだけど、果たして寄与しているのかどうか。僕はまだまだブラジル人の気がします。ロッキングチェアで揺られて揺られすぎて頭からひっくり返る阿呆。生徒さんのほうが大人だと、常々思う。


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